オードリー・タンの「どうしたら私たちが良き先祖になれるか」という問いー伯父の1回忌法要

伯父の1回忌法要に行ってまいりました
そこで受けた若い僧侶からの説教
まさかこんな田舎でしかも法事の説教で
オードリー・タンさんの名前が出てくるとは・・・

伯父を偲んで

子供のころからとてもよくかわいがってくれた伯父、
竹馬の師匠でもあり、釣の師匠でもありました。

田舎で暮らし、生活の知恵をたくさん教えてもらいました。
山の事、川の事、畑の事、海の事・・・、

決して出しゃばらず、人前に出るのを極端に嫌がるとてもシャイな方でした。

父方の本家であるその伯父が、昨年12月28日に亡くなってからもう1年が経とうとしています。


伯父の1回忌法要に行ってきました。

そこで一つの学びがありました。

ジジババ×2を引き連れて

父方の兄弟は6人、男ばかりです。
昭和一桁の長兄から始まり、若くして亡くなった方もおられ、わたしの記憶があるのは内4人。

そして、今現在残っているのは、6番目末子である父と、4番目兄の伯父です。
伯父が85、父が80。

時代が変わろうとしています。

幸いなことに双方の奥方は健在です。

そのジジババ×2カップルを乗せての車中、いろんな話を聞きました。

子供のころの話、お寺の話、山での話、
あれはまだ生きちょるとか、あれは10月に亡くなったとか、
話には加わってませんが、面白くもあり、悲しくもあり、

時代が変わろうとしているんだなあ・・・。


車の乗り降りをサポートしながら、本家に到着。

1回忌法要での若き僧侶の説教

伯父を偲んで、1回忌法要の読経を皆で唱えます。

そして、法要の最後に若き僧侶の説教が始まりました。

若き僧侶
若き僧侶

わたしは法要には3つの意味があると思っています。
一つ目は故人を弔うという意味
二つ目は故人を偲ぶために皆さんが集まることの意味
三つ目は皆さんが集まり、仏説に触れることの意味

ふむ、ふむ、
30代かな、若いのに落ち着いて
いいこというなあ

そして始まった3つ目の、仏説に触れることの意味から派生したオードリー・タンの「良き先祖になれるか」という話。

まさかこんな田舎の法事で、世界の天才、台湾IT大臣、オードリー・タンの名前が出てくるなんて思いもよらなかったので驚きでした。

縁あって、若き僧侶の宗派のトップが、オードリー・タンさんと意見を交換する場があったとの事。

その際、宗派のトップはオードリーさんのただならぬ佇まいに、素晴らしい人格者であることを直感したそうです。

宗派のトップがこう質問しました。

宗派のトップ
宗派のトップ

未来に向けて準備するため、わたしたちが抱くべき最も重要な質問は何だと思いますか?

オードリーさんはこう答えたそうです。

オードリー・タンさんの返答

どうしたら私たちが良き先祖になれるか、という問いです

ふかいなあ・・・


若き僧侶のお寺の掲示板は月に1回、張り替えがあるそうです。

今月は

「どうしたら私たちが良き先祖になれるか」

っと、いう張り紙が張ってあるそうです。

ふかいなあ・・・

わたしたち昭和40年代もいつしか一人ずつ、この世からいなくなっていくのでしょう。

その時、良き先祖となれるや否や

今後の行動の戒めとして、オードリー・タンさんの言葉を受け取っておきたいと思います。

もしかしたら、天国の伯父からの言葉なのかもしれません。

「どうしたら私たちが良き先祖になれるか」

の話でした。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、・・・

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