それは
マラソン完走
富士山登頂
屋久島の旅
ぼんやりと思っていた3つのこと
確か35歳頃だったと思う、
一生のうちに、「やってみたいなあ」、「行ってみたいなあ」っと思うことが3つ、
頭をよぎるようになったのです。
懸命にゴールを目指し42.195Kmを走り切るというのは、どんな気持ちなのか。
日本一高い山、富士山山頂に立つ気分はどんなものか。
屋久島世界遺産の森で緑と同化する気分はどんなものなのか。
ただぼんやり、やってみたいなあ、いってみたいなあ、と思い始めたのが35歳のころでした。
マラソン完走を振り返る
そして、健康のためという理由もあって、走り始めたのが37歳のころかなあ・・・、
「頑張れば何でもできる」と思っていた頃と重なるのは偶然ではないのでしょう。
若かったなあ・・・、と思いますね。
十分な準備ができないままマラソンエントリー、3年連続の制限時間オーバーで途中リタイヤ。
そりの合わない会社の年長者から「未完走の男」などと揶揄され奮起し、岡山まで行って初完走を成し遂げたのが2011年42歳の時、6時間の制限時間ギリギリでした。
その後、’12、’13、’15年と5時間30分台の完走とは程遠い完歩を経験しました。
そして、マラソン完走がさほど人生に影響を与えるものではないこともわかりました。
ただ、ゴールテープを切る瞬間のあのエネルギーの消耗、消失感、
「もう自分には何も残ってない・・・」
っと思えるあの感覚は、何とも言えない達成感と充実感で心満たされるものでした。
マラソン完走経験は4回、その晩は祝杯を挙げるどころか毎回38℃の高熱にうなされることになるのですが、
「もう自分には何も残ってない」と思えるほどに「すべてを出し切る」経験は、
自分史の1ページを飾るにふさわしいものだと思っています。
もしかしたら、またスイッチが入るかもしれませんが、
「いい経験をした、でも、もういいかなあ、、、」
っと、いうのが正直な現在の心境ではあります。
富士山山頂への思い
これについても、富士山山頂に立てば何かが変わる、わけではないのはわかっているんです。
でも、年明けぐらいから日に日に行ってみたい気持ちが増してきています。
そして、行ける条件、生活環境も整って、ほぼ実行計画を立てようというところまで来ています。
日本一高い山、日本一の素晴らしい山、マウント富士
その山頂を目指してみようと思っています。
屋久島の旅
先日、世界遺産のテレビ番組で鈴木亮平が屋久島に行っていましたね。
「ああ、いってみたいなあ!」
っと、今はただ漠然と思っています。
ですが、屋久島への思いはしばらく伏せて、まずは富士山が先になりそうです。
ぼんやりと思っていたことを実現する楽しさ
最初はただぼんやりと思っていただけで、特に執着はなかったんですが、
自然発生的に走り始め、走り出したらやる気が増してきて、気が付いたら悔しさが反発して完走できていました。
一つ目は実現できました。
今回は富士山にトライする環境が整ってきているようです。
「よーし! 富士山挑戦してみよう!」
まずは、どうやっていくのか?
この調べから開始します。
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